年譜




1919(大正8) 0歳
 10月12日 國領平四郎、貞子の三男として神奈川県横浜市井戸ヶ谷に生まれる。

1926(大正15=昭和元) 7歳
4月 横浜市立日枝第二尋常高等小学校に入学する(のち学校が火災のため共進尋常高等小学校に移る)。

1930(昭和5) 11歳
 このころ 近所の家に日本画家片岡球子(当時、横浜市立大岡尋常高等小学校教諭)が下宿していて、その家に遊びに行っては絵を描いているのを見(《枇杷》など)、時には絵をみてもらうこともあった。

1932(昭和7) 13歳
3月 横浜市立共進尋常高等小学校尋常科を卒業する。
4月 神奈川県立横浜第一中学校(現在の県立希望ヶ丘高等学校)に入学する。

1935(昭和10) 16歳
10月 父平四郎が没する。

1936(昭和11) 17歳
1月 母貞子没。相ついで父母を失い、長兄芳文のもとで生活する。
この年 悲しみにうち克つためサッカーに熱中するが、肋膜炎となり一年間休学する。この間、4月に次兄辰弥が東京美術学校彫刻科塑造部に入学し、その影響を受けるなど、次第に絵画の方面に進む志を強くする。

1938(昭和13) 19歳
3月 神奈川県立横浜第一中学校を卒業する。
この年 川端画学校に通う。

1939(昭和14) 20歳
4月 東京美術学校図画師範科(現在の東京芸術大学美術学部)に入学する。在学中、小林万吾、南薫道、伊原宇三郎より油絵、矢澤弦月、松垣高夫より日本画の教授をうける。

1941(昭和16)22歳
12月 東京美術学校図画師範科を卒業する(第二次世界大戦突入のため練り上げ卒業)。

1942(昭和17) 23歳
1月 新潟県立柏崎中学校(旧制)教諭となる。
4月 召集をうけ近衛師団に入隊、のち中国中央部に渡る。

1946(昭和21) 27歳
3月 復員し、神奈川県津久井郡小淵村吉野884に疎開していた長兄のところに世話になる。

1947(昭和22) 28歳
4月 柏崎中学校にもどる(前年8月、教員適格審査に合格)。
10月 第3回日展(東京都美術館)に《女醫さん》が初入選する。

1948(昭和23) 29歳
冬 最初の個展を柏崎市役所楼上で開催、《女醫さん》《O夫人像》など30点を出品する。
4月 新潟県立柏崎高等学校教諭となる(新制高等学校発足による)。
10月 藤田昭子と結婚する。 この年 柏崎市美術展に出品、市長賞を受賞する。

1950(昭和25) 31歳
5月 東京都大田区立大森第一中学校教諭となる。
川崎市の妻の実家(父藤田昭三)に寄寓する。

1951(昭和26) 32歳
4月 光風会第37回展(東京都美術館)に《小憩》が初入選する。
9月 東京都大田区新井宿1丁目2298番地に転居する。
10月 第7回日展(東京都美術館)に《格子縞の服》が入選する。

1952(昭和27) 33歳
4月 光風会第38回展(東京都美術館)に《黒い帯》《A子像》が入選する。

1953(昭和28) 34歳
4月 光風会第39回展(東京都美術館)に《二人の女と日傘》が入選する。

1954(昭和29) 35歳
3月 光風会第40回展(東京都美術館)に《絵のある坐像》が入選する。
10月 第10回日展(東京都美術館)に《赤い服のA子》が入選する。

1955(昭和30) 36歳
3月 光風会第41回展(東京都美術館)に《飛行場風景》が入選、光風会賞を受賞する。
10月 第11回日展(東京都美術館)に《運河》が人選、特選となる(1990年呉市立美術館買上げ)。
 *文部省教材等調査研究会(盲学校)委員となる。

1956(昭和31) 37歳
4月 光風会第42回展(東京都美術館)に《干潮》が入選、光風会会友となる。
10月 第12回日展(東京都美術館)に《河港》を無鑑査出品する。

1957(昭和32) 38歳
3月 光風会第43回展(東京都美術館)で《東京の河》《東京の谷》が入選、光風会会員となる。
11月 第13回日展(東京都美術館)に《東京の海》が入選する。
同月 第1回安井賞候補新人展(国立近代美術館)に《東京の河》を推薦出品する。
 *東京都中学校教育課程改訂委員会委員となる。

1958(昭和33) 39歳
4月 光風会第44回展(東京都美術館)に《横浜風景》《東京の河口》を出品する。
7月 國領經郎個展を銀座・栄画廊で開催、《河口》など油彩画・素描・パステル画あわせて15点を出品する。
9月 産経新聞主催の新写実画選抜百人展(池袋・三越)に《港の風景》を出品する。
11月 第1回日展[新日展](東京都美術館)で《空港への路》が入選する。
 *文部省教材等調査研究会(中学校・高等学校 美術)委員として『中学校美術指導書』作成に携わる。

1959(昭和34) 40歳
4月 光風会第45回展(東京都美術館)に《堀》《堤》を出品する。
5月 神奈川県横浜市港北区菊名町419番地に転居、はじめてアトリエを持つ。
9月 東京都港区立赤坂中学校教諭となる。
同月 第2回新写実画選抜百人展(池袋・三越)に《操車場》を出品する。
11月 第2回新日展(東京都美術館)で《浚渫船建造中》が人選する。
 *東京都中学校指導要領改訂委員となる。

1960(昭和35) 41歳
4月 光風会第46回展(東京都美術館)に《森》《暈》を出品する。
11月 第3回新日展(東京都美術館)で《並び立つアンテナ》が入選する。
 *東京都美術教育研究会副会長となる。

1961(昭和36) 42歳
2月 六晶会(内山孝・神戸文子・國領經郎・塩出千鶴子・時田幸彦・西田亨)第1回展を日本橋・白木屋で開催、《船》《終着駅》などを出品する。
4月 光風会第47回展(東京都美術館)に《塔》を出品する。
11月 第4回新日展(東京都美術館)で《木材の浮ぶ海景》が入選する。
 *全国中学校美術教育研究会副会長となる。

1962(昭和37) 43歳
4月 光風会第48回展(東京都美術館)に《東京の塔》を出品する。
7月 國領經郎個展を銀座・サヱグサ画廊で開催、《船のある風景》《船》《鉄塔》など約20点を出品する。
11月 第5回新日展(東京都美術館)で《船》が入選する。

1963(昭和38) 44歳
4月 東京都立教育研究所指導主事となる。
同月 光風会第49回展(東京都美術館)に《干網》を出品する。
7月 第2回六晶会展を京橋・昭和画廊で開催する。
同月 國領經郎個展を横浜・関内ギャラリーで開催、《白い倉庫》など約20点を出品する。
 *NHKテレビ番組・「芸術の窓」(中学校美術)を担当。
 *「思春期の反抗と創造性」(『教育美術』第24巻第8号)を執筆。

1964(昭和39) 45歳
2月 國領經郎個展を京橋・昭和画廊で開催、《高速道路》《外人墓地》など約20点を出品する。
4月 光風会50回記念展(東京都美術館)に《高速道路》を出品する。
同月 光風会50周年記念選抜展(日本橋・白木屋)に《風景A》《風景B》を出品する。
6月 六晶会小品展[第3回展]を銀座・養清堂で開催する。
 *文部省社会教育審議会(教育映画等審査分科会)委員となる。
 *NHKテレビ番組「芸術の窓」(高等学校芸術)番組編成委員となる。
 *世界美術教育会議実行委員をつとめる。

1965(昭和40) 46歳
4月 光風会第51回展(東京都美術館)に《樹》を出品する。
6月 第4回六晶会展を銀座・いとう画廊で開催する。
11月 第8回新日展(東京都美術館)で《浜の女》が人選する。
 *美術教育振興会評議員となる。
 *『西洋の美術』(共著・正進社)刊行。

1966(昭和41) 47歳
3月 國領經郎個展を横浜・高島屋で開催、《バンガローのある風景》など約20点を出品する。
4月 東京都教育庁指導部指導主事となる。
同月 光風会第52回展(東京都美術館)に《観光客》を出品する。
9月 第5回六晶会展(銀座・みゆき画廊)に《漁夫》《母子》を出品する。
 *文部省中学校教育課程改善に関する協力会委員となる。
 *日本美術教育連合『日本美術教育総鑑』(共著・日本文教出版)刊行。

1967(昭和42) 48歳
4月 光風会第53回展(東京都美術館)に《風景〔真鶴〕》を出品する(1972年横浜市民ギャラリー買上げ)。
 *日本美術教育連合理事となる(1969年から委員)。
 *『学校教育全書12 美術教育』(共編、全国教育図書)刊行。
 *「創造性をたかめる教育環境」(『学校経営』第17号)を執筆。
 *『美術カラースライド 西洋』全4巻(共編・講談社)を編集。

1968(昭和43) 49歳
3月 横浜市主催の集団個展シリーズNo.1〈春蕾展〉を横浜市民ギャラリーで開催、《百合》など大作10点を出品する。
4月 横浜国立大学教育学部助教授となる。
同月 光風会第54回展(東京都美術館)に《邑》を出品する。
同月 映画《彫刻の基礎》(東映)を企画・監修、教育映画祭最高賞を受賞する。
同月 『教育美術』誌に「文学の中の美術」を連載開始する(1971年12月まで36回にわたって連載する)。
11月 第11回新日展(東京都美術館)で《海景》が入選する。
 *『美術史年表 西洋および中国・日本』(美術出版社)を監修。

1969(昭和44) 50歳
4月 跡見女子大学非常勤講師となる(2ヶ年)。 同月 光風会第55回記念展(東京都美術館)に《滞船》を出品する。
11月 [改組]第1回日展(東京都美術館)で《砂上の風景》が人選、特選となる。
 *『美術科における評価の実践』(共編著・正進社)刊行。
 *『中学校学習指導要領の展開 美術科編』(共編著・明治図書)刊行。

1970(昭和45) 51歳
4月 光風会第56回展(東京都美術館)に《緑堤の風景》を出品する。
9月 國領經郎展を銀座・彩壷堂で開催、《百合》など24点を出品する。
11月 第2回目展(東京都美術館)に《赤土の丘》を無鑑査出品、彫刻の森美術館買上げとなる。
12月 美術技法誌『アトリエ』特集・油絵技法のポイント(第526号)に「点描による作画」を執筆する。
 *文部省『中学校指導書 美術編』(共著・開隆堂出版)作成に加わる。
 *「個人差に応じた美術教育」(『中学校授業実践シリーズ 美術科』学芸出版刊)、「表現のいろいろとその指導」(『母のほん』6 主婦と生活社刊)、「幼児の成長についてたいせつな製作活動」(『母のほん』7 同刊)を執筆。

1971(昭和46) 52歳
4月 光風会第57回展(東京都美術館)に《港》を出品する。
11月 第3回日展(東京都美術館)で《海浜の風景》が入選、特選となる。
12月 フジテレビ番組・テレビ美術館〈國領經郎 砂のドラマ〉、同・ミュージックギャラリーにて放映される。
 *神奈川県美術展審査員を務める。
 *『中学校美術科基本的事項の指導』絵画・彫刻編、デザイン・工芸編(共編・明治図書)刊行。

1972(昭和47) 53歳
4月 横浜国立大学教育学部教授となる。
同月 光風会第58回展(束京都美術館)に《砂の風景》を出品する。
同月 映画〈風景写生〉(東映)を企画・監修する。
5月 國領經郎展〈砂〉を銀座・彩壷堂で開催、《砂防垣》《ポピー》《風紋》など約40点を出品する。
6月 '72新鋭選抜展(日本橋・三越)に《白い船》を出品、優賞を受賞する。
同月 日本洋画新世代展(池袋・西武百貨店)に《砂丘》を出品する。
10月 画家の歩み展〈東京美術学校出身者による〉(東京セントラル美術館)に《自画像》1941、《飛行場風景》1955、《砂丘風景》《海浜風景》が出品される。
11月 第4回日展(東京都美術館)に《ひるがおの咲く風景》を無鑑査出品する。
12月 メキシコ、アメリカ、カナダを旅行する。
 *神奈川県美術展審査員を務める。

1973(昭和48) 54歳
1月 NHK教育テレビ番組・美の世界〈日本画の技法@〉(出演=三谷青子、解説=國領經郎)が放映される。
4月 光風会第59回展(東京都美術館)に《海鳥》(横浜国立大学蔵)を出品する。
5月 國領經郎油絵個展を大阪・高島屋で開催、《茶畑の丘》《茶畑》などを出品する。
11月 第5回日展(東京都美術館)に《砂の丘若い人》を委嘱出品する。

1974(昭和49) 55歳
2月 東京芸術大学出身者による上野の森85年の歩み展洋画の部(東京セントラル美術館)に《並び立つアンテナ》1960、《花と裸婦》1957、《水溜りのある風景》が出品される。
4月 光風会第60回記念展(東京都美術館)に審査員をつとめ、《砂の上の群像》を出品する(1975年第16回文化庁優秀美術作品として文化庁買上げ)。
7月 横浜市主催の横浜在住作家美術展(横浜市民ギャラリー)に《若い人》を出品する。
11月 第6回日展(東京都美術館)に《仲間たち》を委嘱出品する。
 *秋田県美術展審査を行う。

1975(昭和50) 56歳
4月 光風会第61回展(束京都美術館)に《海の見える風景》を出品する。
6月 光風会評議員となる。
同月 ヨーロッパ諸国(主にフランス)を旅行する。
9月 第9回現代美術選抜展(いわき市文化センター他。主催=文化庁他)に《砂の上の群像》が出品される。
11月 第7回日展(東京都美術館)の審査員をつとめ、《若い群像》を出品する(1976年松岡美術館買上げ)。

1976(昭和51) 57歳
3月 社団法人日展会員となる。
4月 光風会第62回展(新・東京都美術館)に《昼の月》を出品する。
7月 ヨーロッパ諸国(主にイタリア)を旅行する。
10月 第8回日展(東京都美術館)に《海風の中の会話》を出品する。
 *神奈川県美術展審査員を務める。

1977(昭和52) 58歳
2月 第1回日洋展(日本橋・三越美術館)の運営委員・審査員となり、《午後の砂丘》 を出品する。
4月 光風会第63回展(東京都美術館)に《遠い海》を出品する。
5月 國領經郎油絵展〈碧い空間〉が日本橋・三越、札幌・ギャラリー三越で開催され、現代の若者の孤愁をテーマに《真昼の対話》など28点を出品する。
8月 第1回夏季日洋展(日本橋・三越)に《鳥瞰》を出品する。
9月 日本現代裸婦展(広島県立美術館)に《真夏の空間》が出品される。
11月 第9回日展(束京都美術館)に《鳥瞰》を出品する。
 *52年度小学校教科書『新図画工作 1−6』(共著・光村図書出版)を刊行。

1978(昭和53) 59歳
1月 第2回日洋展(日本橋・三越美術館)に《砂の峡》を出品する。
2月15日 光風会を退会する。
5月 日本現代裸婦展(富山県民会館美術館)に《昼の月》1976が出品される。
8月 第2回夏季日洋展(日本橋・三越)に《裸婦の横たわる風景》を出品する。
10月 國領經郎新作展を大阪・中宮画廊で開催、約20点を出品する。
同月 第10回日展(束京都美術館)に《跡》を出品する(1979年東京都美術館買上げ)。
11月 横浜市主催の國領經郎自選展が横浜市民ギャラリーで開催され、《干潮》1956、《港の公園》1966、《海浜の風景》1971、《真夏の空間》1977など72点を出品する。
 *神奈川県美術展委員会委員となる。
 *大学美術教育学会理事となる。
 *53年度用中学校教科書『美術1・2・3』(共著・光村図書出版)刊行。

1979(昭和54) 60歳
2月 第3回日洋展(日本橋・三越美術館)に《砂の壁》を出品する。
4月 第1回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《跡》が選ばれ、出品される。主催=読売新聞社
5月 日本現代裸婦展(愛媛県立美術館)に《裸婦の横たわる風景》が出品される。
6月 NHK教育テレビ番組 文化シリーズ・美をさぐる〈人間・沈黙の風景(3)砂との対話 画家國領經郎〉が放映される。
8月 第3回夏季日洋展(日本橋・三越)に《砂の風景》を出品する。
11月 第11回日展(束京都美術館)の審査員をつとめ、《襞》を出品する。
同月 大学美術教育学会理事長(昭和55年度より)に選出される。
 *横浜市文化賞審査員を務める。

1980(昭和55) 61歳
2月 第4回日洋展(日本橋・三越美術館)に《逃げ水の見える風景》を出品する。
同月 第1回雲の会油絵展(日本橋・三越)に《二人》を出品、以後出品を重ねる。
3月 第2回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に日展第11回出品作《襞》が選ばれ、出品される。
4月 『國領經郎画集』が講談社から刊行される。
同月 横浜郵便貯金ギャラリー開廊記念國領經郎作品展が横浜郵便貯金ギャラリーで開催され、《絵のある坐像》1954、《砂の上の群像》1974、《跡》1978など、初期から最新作に至る代表作30点が出品される。
5月 日仏現代絵画展(新宿・伊勢丹)に《海風》を出品する。
8月 第4回夏季日洋展(日本橋・三越)に《異国の町》を出品する。
9月 第19回国際形象展(日本橋・三越)に《遥》を招待出品する。
同月 日本の洋画にみる回想の裸婦・現代のヌード(銀座・松坂屋)に《昼の月》1976が出品される。(主催=朝日新聞社)
11月 アジア現代美術展(福岡市美術館)に《若ものたち》が出品される。
同月 第12回日展(東京都美術館)に《無風の風景》を出品、会員賞を受賞する。
12月 「おんな」シリーズ展(大阪・ナビオ阪急・ナビオギャラリー)に《女二人》が出品される。主催=朝日新聞社

1981(昭和56) 62歳
1月 第2回雲の会油絵展(日本橋・三越)に《赤いベルトの女》を出品する。
3月 國領經郎作品展が大阪・中宮画廊で開催され、《海浜の風景》1971、《ひるがおの咲く風景》1972、《海風の中の会話》1976、《襞》1979など近作50点が出品される。
同月 第3回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《異国の町》1981が選ばれ、出品される。
4月 第5回日洋展(日本橋・三越美術館)に《赤いボート》を出品する。
同月 東京都美術館運営審議会委員となる(1988年度任期満了)。
6月 横浜市美術館基本構想委員会委員となる。
9月 第20回記念国際形象展(日本橋・三越)に《砂上の風景》を招待出品する。
10月 第13回日展(束京都美術館)に《風》を出品する。
11月16日 「日本人と油絵」を『読売新聞』夕刊・文化欄に寄稿する。
12月 紺綬褒章を受章する。

1982(昭和57) 63歳
1月 第3回雲の会油絵展(日本橋・三越)に《風》を出品する。
2月 第6回日洋展(日本橋・三越美術館)に《春隣》を出品する。
3月 國領經郎自選展が名古屋・松坂屋で開催され、《飛行場風景》1955、《砂上の風景》1969、《遥》1981など、初期から最新作に至る作品25点が出品される。
7月 『國領經郎リトグラフィ集portraits d'une femme』がギャラリー・フィガロから刊行される。
9月 第21回国際形象展(日本橋・三越美術館)に《鏡》を招待出品する。
同月 文化庁収蔵品でつづる日本現代美術秀作展(高岡市立美術館)に《砂の上の群像》1974が出品される。
10月 第14回日展(東京都美術館)に《轍》を出品する。
 *ヨ一ロッパ諸国(主に英国)を旅行する。
 *神奈川新聞のコラム「週言」を担当し、10回分を執筆。

1983(昭和58) 64歳
1月 第4回雲の会油絵展(日本橋・三越)に《姉妹》を出品する。
2月 第7回日洋展(日本橋・三越)に《踞》を出品する。
4月 第5回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に第6回日洋展出品作《春隣》が選ばれ、出品される。
5月 第2回宮本三郎記念賞を受賞する。受賞作は第14回日展出品作の《轍》。
同月 第2回宮本三郎記念賞を記念する國領經郎展が日本橋・三越で開催され、代表作を中心に点描時代から新作に至る60点が出品される。6月まで大阪・三越、横浜・三越を巡回する。主催=財団法人美術文化振興協会・朝日新聞社
8月 第22回国際形象展(日本橋・三越)に《ボート》を招待出品する。
10月 裸体画100年の歩み(大阪・国立国際美術館)に《襞》1979が出品される。
同月 第15回日展(東京都美術館)に《静止の空間》を出品する。
11月 第32回神奈川文化賞を受賞する。
12月 『裸婦 國領經郎』が学習研究社から刊行される。

1984(昭和59) 65歳
3月 第8回日洋展(日本橋・三越)に《階段のある広場》を出品する。
6月 第6回日本秀作美術展(日本橋・三越)に《黒いボート》が選ばれ出品される。
9月 第23回国際形象展(日本橋・三越本店)に《暮色》を招待出品する。
同月 横浜市美術館収集作品展(横浜市民ギャラリー)に《轍》が出品される。
10月、たまプラーザ東急ショッピンクセンター・プラザホールを巡回。主催=横浜市ほか
11月 第16回日展(東京都美術館)の審査員をつとめ、《飛鳶》を出品する。
12月 第4回富嶽文化賞の審査員をつとめる。
同月 國領經郎スケッチ展〈私のヨーロッパ風景〉が横浜・岩崎博物館で開催され、スコットランド、スカイ島風景など20余点を出品する。主催=岩崎博物館 後援=横浜市教育委員会・朝日新聞社

1985(昭和60) 66歳
1月 「日本の四季」名作展(日本橋・高島屋)に《襞》1979が出品される。主催=読売新聞社、読売日曜版500回記念
2月 フジテレビ番組・テレビ美術館〈國領經郎 点描、砂丘、群像〉に出演、放映される。
同月 随筆集『砂の風景』が学習研究社から刊行される。
3月 第9回日洋展(日本橋・三越)に《休日》を出品する。
同月 國領經郎・小さな回顧展が横浜・高島屋で開催される。
同月 横浜国立大学を定年退職する。
6月 第7回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に日展出品作《静止の空間》が選ばれ、出品される。
8月 自然のかたちと美術〈空と地と水と木と〉(福島県立美術館)に《砂の壁》1979、《轍》1982が出品される。
同月 第24回国際形象展(日本橋・三越)に《赤い服》を招待出品する。
9月 横浜駅東口・横浜新都市ビルの壁彫レリーフ《希望》を制作、完成する。
10月 神奈川を描く〈近代日本画・洋画名作展〉(横浜・高島屋)に《河港》1956が出品される。主催=神奈川新聞社・朝日新聞社
11月 第17回日展(東京都美術館)に《佇》を出品する。

1986(昭和61) 67歳
3月 第10回記念日洋展(日本橋・三越)に《暁色》を出品する。
4月 社団法人日展評議員となる。
5月 第8回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《飛鳶》が選ばれ、出品される。
7月 開館記念展「郷土ゆかりの巨匠展 ― 村山徑・國領經郎二人展」が柏崎市立博物館が開催される。主催=柏崎市教育委員会・柏崎市立博物館
8月 第25回国際形象展(日本橋・三越)に《鳥影》を招待出品する。最終展
9月 日本の油絵30人展(パリ、バレ・デ・コングレ)に《踞》が出品される。
同月 横浜市美術館収集作品による横浜と近代日本の絵画展(横浜・高島屋)に《砂上の風景》1969、《静止の空間》1983が出品される。主催=横浜市美術館収集作品展実行委員会・横浜市
同月 高知県美術展の審査委員をつとめる。
11月 第18回日展(東京都美術館)に《ある静寂の午後》を出品、内閣総理大臣賞を受賞する。

1987(昭和62) 68歳
1月 第30回安井賞選考委員をつとめる
2月 國領經郎小さな素描展が横浜・せんたあ画廊で開催され、素描41点と油彩8点を出品する。
3月 現代の洋画展〈高島屋美術部創設80年記念〉(日本橋・高島屋)に《赤い服の女》を出品する。
4月 新日洋会の創立に参加、副委員長に就任する。
同月 第1回委員による春の新日洋展(東京セントラル美術館)に《想》を出品する。
5月 第9回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に国際形象展出品作《鳥影》が選ばれ、出品される。
6月 教育美術振興会理事となる。
7月 公募による第1回日洋展(上野の森美術館)を開催する。
8月 斉藤豊作と日本の点描(埼玉県立近代美術館)に《運河》1955が出品される。
11月 第19回日展(東京都美術館)に《遠い海》を出品する。

1988(昭和63) 69歳
4月 第2回委員による春の新日洋展(東京セントラル美術館)に《雨後》を出品する。
同月 テレビ番組・私の美術館〈若い群像 砂と孤独の世界)に出演、放映される
6月 第10回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に日展出品作《ある静寂の午後》が選ばれ、出品される。
9月 横浜市の依頼により〈横浜百景〉のうち《完成間近いベイ・ブリッジ》を制作、横浜・上海美術作品交流展派遣作品紹介展(横浜市民ギャラリー)に出品される。
10月 横浜・上海美術作品交流展(上海市美術館)に《完成間近いベイ・ブリッジ》が出品される。
11月 第20回日展(東京都美術館)に《海風の風景》を出品する(1992年横浜美術館買上げ)。
 *広島市の委託により《鏡のある風景》を制作する。

1989(昭和64=平成元) 70歳
4月 第3回委員による春の新日洋展(東京セントラル美術館)に《春隣》を出品する。
5月 広島・ヒロシマ・HIROSHIMA〈国内外の制作委託作家78名によるヒロシマの心〉(広島市現代美術館)に《鏡のある風景》が出品される。開館記念展
6月 第11回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に新日洋展出品作《雨後》が選ばれ、出品される。
9月 新潟の絵画100年展〈第2部テーマ編〉(新潟市美術館)に《雨後》が出品される。
10月 横浜ゆかりの画家たち〈開港から現在まで〉(横浜・高島屋)に《山手風景》1937が出品される。主催=神奈川新聞社、朝日新聞社 横浜開港130周年・市政100周年・横浜高島屋開店30周年記念
11月 第21回日展(東京都美術館)の審査員をつとめ《晨》を出品する(1990年山種美術館買上げ)。
同月 第38回横浜文化賞を受賞する。

1990(平成2) 71歳
2月 横浜美術展(オデッサ東西美術館)に《完成間近いベイ・ブリッジ》が出品される。主催=横浜市・オデッサ市
4月 第4回委員による春の新日洋展(東京セントラル美術館)に《閑》を出品、呉市立美術館買上げとなる。
同月 第54回河北美術展の審査員をつとめる 。主催=河北新報社
6月 第12回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に新日洋展出品作《春隣》が選ばれ、出品される。
7月 花のある名作美術展(大阪・阪急百貨店本店)に《赤土の丘》1970が出品される。主催=毎日新聞社・NHKサービス・センター
9月 國領經郎展が横浜高島屋で開催され、代表作を中心に初期から新作に至る64点が出品される。主催=神奈川新聞社、朝日新聞社 神奈川新聞創業100周年記念
11月 第22回日展(東京都美術館)に《呼》を出品する。

1991(平成3) 72歳
4月 第5回委員による春の新日洋展(東京セントラル美術館)に《丘》を出品する。 5月 社団法人日展理事となる。
6月 第47回日本芸術院賞を受賞する。受賞作は第22回日展出品作の《呼》(日本芸術院収蔵)。
同月 平成2年度芸術院賞受賞作品展(銀座・松屋)に《呼》が出品される。
同月 第13回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に新日洋展出品作《閑》が選ばれ、出品される。
11月 第23回日展(東京都美術館)に《暁色》を出品する。
同月 テレビ朝日番組・素敵!!名画の旅〈平塚市美術館〉に出演、放映される。
12月 國領經郎展が日本橋・三越で開催され、《宏》《鏡のある風景》《晨》など近作・新作24点を出品する。翌年2月まで大阪・三越、松山・三越を巡回する。(1992年、《讃》を広島市現代美術館、《跡》1983を神宮美術館に寄贈)
同月15日 日本芸術院会員となる。

1992(平成4) 73歳
4月 第6回委員による春の日洋展(東京セントラル美術館)に《二つの溜水》を出品する。
同月 社団法人日展常務理事となる。
6月 第14回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に日展出品作《呼》が選ばれ、出品される。
7月 日本洋画再考展〈現代日本洋画家と日本画家との対話〉(東京都庭園美術館)に《潦》が出品される。
11月 第24回日展(東京都美術館)の第二科審査主任をつとめ、《遥眺》を出品する。
同月 紺綬褒章を受章する。

1993(平成5) 74歳
4月 日洋会委員長兼会長に就任する。
同月 第7回委員による春の日洋展(東京セントラル美術館)に《翔》を出品する。
6月 クレパス画名作展(横浜・そごう美術館)に《魚》など2点が出品される。
同月 第15回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に日展出品作《暁色》が選ばれ、出品される。
10月 日本芸術院会員展(小倉・そごう)に《昼の月》1976が出品される。主催=日本経済新聞社
11月 第25回日展(東京都美術館)の審査員をつとめ、《汐干》を出品する。
同月 國領經郎展が銀座・日動画廊本店で開催され、1979年の《襞》から新作《飛行船の浮かぶ港の風景》に至る自選作品と新作あわせて32点を出品する。
12月 日本テレビ番組〈美の世界・國領經郎〉に出演、放映される。

1994(平成6) 75歳
1月 第29回昭和会展の選考委員をつとめる。
4月 第8回委員による春の日洋展(東京セントラル美術館)に《碧》を出品する。
6月 第16回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に日展出品作《遥眺》が選ばれ、出品される。
同月 急性胃潰瘍となり、聖路加国際病院で手術、1ヶ月入院する。
8月 第30回昭和会展の選考委員を務める。
10月 フジテレビ番組・第26回日展第二科解説に出演、放映される。
11月 第26回日展(東京都美術館)の第二科審査主任をつとめ、《凪》を出品する。
同月 秋の叙勲で勲三等瑞宝章を受章する。

1995(平成7) 75歳
1月 第30回昭和会展の選考委員をつとめる。
2月 國領經郎展が横浜・高島屋で開催され、《遥眺》《汐干》《飛行船の浮かぶ港の風景》《手・手・手》《想(3部作「連」のうち)》《悠》など最近作、新作あわせて26点を出品する。5月まで京都、大阪、東京日本橋の高島屋を巡回。
4月 日本美術の50年〈日本芸術院収蔵作品にみる〉(上野の森美術館)に《呼》1990が出品される。主催=日本美術協会上野の森美術館・彫刻の森美術館・フジテレビジョン・産経新聞社・ニッポン放送 協力・日本芸術院
同月26日 社団法人日展第40回通常総会で引き続き常務理事に任命される。
同月 第9回委員による春の日洋展(東京セントラル美術館)に《海風に撓む》を出品する。
同月 洋画の展望〈具象表現を中心に〉(福井県立美術館)に《砂上の風景》1969、《襞》1979、《風》1981が出品される。
6月 第17回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に日展出品作《汐干》が選ばれ、出品される。
11月 第27回日展(東京都美術館)の審査員をつとめ、《悠々》を出品する。

1996(平成8) 76歳
2月 國領經郎展〈透徹の軌跡をたどる〉が、大地震被災1年余の神戸元町駅前のアートホール神戸で開催され、《希》1994、《手・手・手》1993、《悠》1994などが出品される。共催=兵庫県学校厚生会・読売新聞大阪本社 協力=國領經郎 開廊10周年記念企画
3月 四季の女たち 春夏秋冬〈現代の洋画家13人が描く〉(大阪・ナビオ美術館)に《春/微風》《夏/はまひるがお》《秋/秋》《冬/赤い帽子》1982が出品、《遥眺》1992、《汐干》1993が特別出品される。主催=ナビオ美術館・毎日新聞社
4月 第10回委員による春の日洋展(東京セントラル美術館)に《現々の景》を出品する。
6月 第18回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に個展出品作《悠》1994が選ばれ、出品される。
10月 國領經郎展が日本橋・三越本店6階特選画廊で開催され、初期から近作の自選作品10余点と、旧作に新作2点を加えた《韻・三部作》などを出品する。三越美術部創設90周年記念
11月 第28回日展(東京都美術館)の審査員をつとめ、《蓼蓼》を出品する。
 *小山敬三美術振興財団評議員となる。

1997(平成9) 77歳
1月 日展90年記念展(銀座・松屋)に《静止の空間》1983が出品される。主催=読売新聞社・社団法人日展
4月 第11回委員による春の日洋展(東京セントラル美術館)に《薄ら陽》を出品する。
5月1日 社団法人日展第42回通常総会で常務理事に引き続き任命される。
6月 第19回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《悠々》が選ばれ、出品される。
9月 國領經郎展〈現代作家デッサン・シリーズ〉が銀座・松屋7階美術画廊で開催され、自選のデッサン50余点が出品される。主催=朝日新聞社
11月 第29回日展(東京都美術館)に《曇り日の河口》を出品する。
 *神奈川新聞のコラム「週言」を担当し、10回分を執筆。

1998(平成10) 78歳
4月 第12回委員による春の日洋展(東京セントラル美術館)に《寂蓼》を出品する。
6月 第20回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《蓼蓼》が選ばれ、出品される。
11月 第30回日展(東京都美術館)の審査員をつとめ、《薄ら陽の砂洲》を出品する。

1999(平成11)
3月 青の表現〈歌会始御題にちなみ〉(伊勢・式年遷宮記念神宮美術館)に《鳥瞰》1977が出品される。
同月13日 肺炎のため東京都中央区・聖路加国際病院で逝去する。享年79。横浜美術館での回顧展の準備を進めていた矢先の訃報であった。
同月19日 告別式が日本キリスト教会大森教会で営まれる。
4月 第13回委員による春の日洋展(東京セントラル美術館)に名誉会長として遺作《寂》が出品される。
同月 追悼展となった國領經郎展が横浜美術館で開催され、初期の《山手風景》1937から最後の日展出品作《薄ら陽の砂洲》1998にいたる代表作を中心に油彩75点や水彩、未発表のスケッチなど、あわせて114点が出品される。主催=横浜美術館・朝日新聞社・神奈川新聞社・TVKテレビ
6月 第21回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に日展出品作《曇り日の河口》が選ばれ、出品される。
10月 横浜美術館展〈所蔵作品と10年の歩み〉(横浜・高島屋)に《海風の風景》1988が出品される。主催=神奈川新聞社・横浜市美術振興財団 協力=横浜美術館 横浜美術館開館10周年記念・横浜高島屋開店40周年記念
11月 第31回日展(東京都美術館)に遺作として《悠々》が出品される。
同月 平塚市美術館で第5回常設展示「國領經郎の油彩・素描」が開催される。

2000年(平成12)
5月 第22回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に日展出品作《薄ら陽の砂州〔薄ら陽の砂洲〕》が選ばれ出品される。
10月 國領經郎・阪本文男二人展〈郷土ゆかりの洋画家〉が柏崎・ソフィアセンターで開催され、15点が出品される。阪本は柏崎高校教諭時代の教え子で1958年東京芸術大学油画科を卒業、1963年モダンアート協会会員となり1986年2月に51歳で急逝。

2001年(平成13)
11月 國領經郎展〈砂丘に流れる詩〔うた〕〉が鳥取県立博物館で開催され、この年遺族から鳥取県に寄贈された、《薄ら陽の砂州》1998など17点を含む31点および素描作品10点が出品される。

2002年(平成14)
7月 國領經郎展〈寄贈記念〉が酒田市美術館で開催され、前年に遺族から酒田市に寄贈された《真昼の対話》1977など13点を含む30点が出品される。

2004年(平成16)
4月 イメージをめぐる冒険〈AND?それともVS?〉(横浜美術館)に《鳥瞰》1977、《轍》1982、《飛行船の浮かぶ港の風景》1993が出品される。


備考
・年譜中、作品名は《  》で囲み,原則として展覧会の目録に拠った。
・編者補記は〔  〕を用い、敬称は略した。
・〈美術教育者〉としての歩みを知るため、役職・著述等を*印を付して記載した。


中島理壽編

©國領經郎顕彰会